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東京都美術館『ゴッホとゴーギャン展』


東京都美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン展」、皆さんはもうご覧になりましたか?

オランダの牧師の家庭に育ったゴッホと、南米ペルーで幼年期を過ごしたゴーギャン。生い立ちも性格も絵画の表現も大きく異なった二人は、親しい友好関係を築き、共同生活を送った時期もあったそうですよ。

今回の展覧会はお互いに刺激を与え合い、同志として、またライバルとして強い絆を築いてきた、二人の関係に焦点を当てた日本初の展覧会です。

1888年2月、ゴッホはパリを離れ南仏のアルルという町に移り住みました。拠点にしたのは、かの有名な「黄色い家」です。

南仏に芸術家のコミュニティを作りたいと夢見たゴッホの夢を形にしたのです。彼はそこに、腰を据えて、南仏プロヴァンスの牧歌的で美しい風景や土地に根ざす農夫たちの姿などを描きながらゴーギャンの到着を待ったそうです。黄色い家に自分の作品をいっぱい飾って。

その頃、ゴーギャンは、ブルターニュで田舎の風景と生活を描き続けました。

しかし、その作品の象徴性はより色濃くなってゆき、想像や記憶から絵画を制作することに重きを置くようになってゆきます。

それは、日常の現実的な景色を好んで描いたゴッホの芸術的志向とは対極にあり、二人は時に激しく衝突しました。

しかし、彼らの絆の深まりを作品から垣間見ることができます。

ゴッホの描いた二つの椅子の作品。ひとつはゴーギャンが使っていた立派な肘掛の椅子。もうひとつは藁座面の簡素な椅子。

どちらもゴッホが用意したもので、ゴーギャンに対する敬愛の情を感じることができます。

後に、二人の共同生活は破綻してしまいますが(とても有名な耳切り事件ですね……)永遠の別れの後も、強い絆で結ばれていることのわかる出来事があります。

破綻後、耳を切り落としたことから2週間ほど入院していたゴッホですが、1889年1月の初めから再び制作に取り掛かります。退院直後、制作に取り組んだ「タマネギの皿のある静物」は必見!

そこに描かれているパイプやタバコなどの嗜好品はゴッホの日常におけるささやかな楽しみを表し、手紙は彼が最も頼りにしていた弟のテオを想起させるものです。

一見ありふれた日用品を描いた静物画ですが、それぞれのモチーフが当時のゴッホに結びつくことを考えると、彼の自画像と捉えることができるかもしれません。

一方ゴーギャンは「汚れなき自然」を求めてタヒチに赴きました。ヨーロッパで過ごした彼のタヒチへの幻想と現実が融合して、その象徴主義は複合的な要素を孕んでゆきました。様式は一層大胆になるものの、ゴーギャンの中にゴッホは生き続けていたのです。

実際、彼らは破局後も書簡を通じた交流を続けていました。そして、ゴッホがピストル自殺を図った末、息を引き取った後に、ゴーギャンは「肘掛け椅子のひまわり」という作品を残します。

ひまわりはゴッホの代名詞とも言うべきモチーフ。二人は、最後まで固い絆で結ばれていたのでしょう✨

そんな、ドラマのような展覧会は東京都美術館で12月18日まで開催中!

10月20日発行の関東版「FLYING POSTMAN PRESS」に掲載されている記事を読めば、さらにたのしめるかもしれません✨

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